【ESSAY】





4年生で転校した初日のこと。
全校生徒の前で転校生は名前を呼ばれる。
(普通は自分のクラスでするよね?黒板に名前を書いて、どこからきました、みたいな)
なぜあのとき、体育館の壇上にたっていたのか、未だに不思議。
何人か転校してきた子たちと全校集会であいさつしている記憶がかすかに残っている。
もともとあがり症だったのもあるし、全校生徒数百名(4クラスあったはずなので、少なくとも700名くらいはいたはず)
の前に立つことは、恐怖以外のなにものでもなかった。

わたしの名前は桂というため、その当時、桂→桂三枝→新婚さん→いらっしゃ〜〜〜い。である。
わたしの名前が呼ばれた瞬間、男子生徒の声で「いらっしゃ〜〜〜〜い」といわれたのは、夢だったのだろうか。
でも、たしかに聞こえたその無邪気な声は、いまだになんとなく頭の中に残っている。
もういまのこの年になると、そんな無邪気さやユーモアは大歓迎だけど、
まだ9才の私は、自分の姓と、なぜか桂三枝を恨んだもの。
名字によっては経験のある人も多いと思うけれど、名前はとにかくいじられる。
桂なんて、歴代のあだ名には悲しいものもたくさんある。
(あたまにかぶるカツラからはじまり、桂三枝から小五郎、
意味もなくかつらっきょうからのらっきょうというのもあった)

その「いらっしゃ〜〜〜〜い」がまだ頭の中に残りながらも、
体育館の隅々を見渡しながら、
「そうか、ここがおじいちゃんが死んだ場所か。。」と冷静な気持ちでいた。


なんで小学校の体育館、というのも、祖父は趣味で卓球を愛好しており、いつもこの体育館で卓球をしていた。
わたしが2才頃の出来事だけれど、いつものように卓球をしていたら、心筋梗塞で(ここはとても曖昧で)
そのまま帰らぬ人になったそう。
9才になり、まさかその小学校に転校してくるとは夢にもおもっていなかったけれど、
なんとなくただいまという気持ちもすこしあった。
子供時代なんて、自由なようで全く自由なんかないと思う。
親の都合でしか住む場所を選べないし、自分で決められることなんてたかがしれている。
ご飯を残したら怒られたし、着る洋服だって自分で買う訳でもない。
すべてが親の元、その分責任も親へいくのだけど。
心はあんなに自由でエネルギーに溢れているから、
やっぱりだれかに拘束されていないと、大変なことになってしまうんだろうと、いま親になって思う。
ここにくるはずじゃなかったけど、でも来てしまった。そんなことなんてよくあること。

その体育館で、体育の授業をし、集会があり、卒業式をした。
東京から引っ越してきて、あたらしい学校へきてとても心細かった。
まず話し方が違った。
学校生活を頼る相手が家にも学校にもいないのが一人っ子。
一生懸命、みんなとおなじ話し方を真似した。
教室の場所を憶えて、クラスメイトの顔と名前を憶えた。
思い出に頼れない人間関係と場所で過ごすことって、大人だって不安だ。
いつも体育館へいくとちょっと安心した気持ちになった。
おじいちゃんはいないけど、おじいちゃんがここにいたってことがそういう気持ちにさせてくれたのかもしれない。

そんな体育館の思い出とともに、ひとついまも忘れられないことがある。
おばあちゃんがいうに、おじいちゃんは亡くなる日鼻が曲がっていた。と言うのだ。

はじめてきいた日から今日まで、なんども思い出してしまう。
ピノキオは嘘をついたら鼻がのびるっていう話は聞いたことがあるけど、鼻が曲がる???

鼻が曲がる、歪む。
なんでだろう。気のせいだったのか。
朝、鏡の前にたつとき、必ず鼻の歪みを気にしてしまう。
もう癖といってもいいくらいだ。
よし、きょうも鼻はまっすぐだ。死なない。と家を出る。

そんな鼻が曲がる問題が、自分なりに腑に落ちる答えを最近得たのである!
それは、体はまっすぐ立っているようで螺旋を描いている(スパイラル)
それは、実際に体全体が円を描いてまわっているのではなく、
細胞とかそういうレベルで螺旋を描いているのでは。。。。ということで。
木もまっすぐのびているけれど、年輪も螺旋を描いている。
立っている。まっすぐいるということは、螺旋なんだ。
なので、その螺旋が止まってしまう(体)、変わらず地球と時間は進んでいるまわっている(時空)ので、
鼻が曲がるのでは。

鼻が曲がる疑問から、30年たった今の考えである。
根拠もないので、ただの感覚に過ぎないけれど。

よし、きょうも鼻はまっすぐだ。死なない。と家を出る。




shima